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雑阿■曇心論卷第七 (中尊寺經) | |||||||||||||||
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法救撰 劉宋元嘉11年(或いは12年)(434年或いは435年)僧伽跋摩等訳 原装紺色地金泥宝相華唐草模様表紙。表紙見返、金銀泥による釈迦説法図。外題、金泥にて直接「雑阿■曇心論巻第七」と書す。巻緒切れて無し。内題、金泥「雑阿■曇心定品第七 七」。銀界(界高19.5cm、界幅1.7cm)。1行17字。16字・20字の行も稀にあり。注小字双行。1行ごとに金銀を交える。全14紙。 第1紙 53.5cm、第2紙 55.3cm、第3紙 55.2cm、第4紙 55.0cm、 第5紙 55.2cm、第6紙 55.0cm、第7紙 55.1cm、第8紙 55.2cm、 第9紙 55.2cm、第10紙 55.2cm、第11紙 49.3cm、第12紙 49.4cm、 第13紙 49.5cm.第14紙 48.4cm 『 大正新脩 大蔵経』の本文と比べるに、次の7紙が欠損していると見られる。 第2紙と第3紙との間 4紙 第4紙と第5紙との間 1紙 第5紙と第6紙との間 1紙 第10紙と第11紙との間 1紙 銀杏型花模様彫鍍軸。漆塗桐箱入。箱表に「菅原道真公筆/雑阿■曇心定品第七 壹巻」と墨書。箱内に経巻を入れていた金襴花模様の経袋(裏打布あり)を収める。口絞り紐付き。乱・辞・真・荅・□・随・☆など簡略字体を用いる。 いわゆる中尊寺一切経には奉納した人と書式などとの違いによって何種かのものが存することが知られているが、本文庫本は、そのうち藤原清衡(1056〜1128)が奉納した一切経のうちの1巻。現在中尊寺には15巻が存し、4269巻は高野山金剛峯寺に、166巻は河内長野市の観心寺に所蔵されていることが知られている。また、中尊寺一切経は東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館・京都檀王法林寺・桑名市徳蓮寺等にも所蔵されるという。解説執筆者京博本以外は原本未見。金剛峯寺所蔵の中尊寺一切経については文化庁監修『国宝10』(毎日新聞社 1984・12)に解説(大山仁快氏執筆)と『大般涅槃経巻三十』の図版とがある。解題によれば、次のような奥書があるという。次に若干を引く。 大方広仏華厳経巻第三 永久五年 丁酉 二月十五日 癸酉 日始之、至于同月廿二日、二巻書之執筆永昭 大品経巻二十二 元永二年 己亥 二月四日書之 執筆脩行僧堯暹 大檀主藤原清衡 北方平氏 六男三女 所生 天治三年三月廿四日の藤原清衡立願文案に続いて、翌日書かれた中尊寺経蔵別当職補任状案(『平安遺文』2060号)に次のように見える。一部引用。 (上略)右、件於自在房蓮光者、為金銀泥行交一切経奉行、自八箇年内書写畢(下略) これによれば8年の歳月をかけて書写されたことが分かる。 なお、京都国立博物館・東京国立博物館・藤澤令夫氏によってそれぞれ、科研費による金剛峯寺本の研究がなされている。 |
■は「たへん」に「比」 □は「くさかんむり」に「寺」 ☆は左側に「日」「月」右側に「犬」 |