室町後期の公家である山科言継(ときつぐ)の家集の自筆稿本。見返しに「大永七」(1527)から「天文十」(1541)の年記があるように、大永7年(言継21歳)から天文10年(言継35歳)までの、公宴御会ほかの歌会への出詠歌を中心にまとめたもの。奥書「天文十年十二月日/拾翠藤(花押)」。外題「拾翠愚草抄」も自筆。冒頭「大永七年」と記す右下脇に「是已前哥千二百餘首有之破捨畢」とあり、20歳以前の和歌は残されなかったらしい。即ち、表紙外題の左に「上 愚詠草」とあるように、本書は言継日次家集の第1冊目に当ることになる。群書類従巻第241の『権大納言言継卿集』は、永禄5年(1562)言継56歳から天正2年(1574)言継67歳の和歌をまとめたもので、本書の後編の一部であるが、他に写本の伝存は報告されていない。
歌会への提出歌が中心であるが、歌題のみならず、日付や歌会の行われた場所の注記も施されており、さらには、「七夕公宴初而被召加御人数」「無草案談合等」「同(天文二年)七廾三於尾張勝幡織田三郎信秀亭会紙」などの記事も見え、言継の詠歌活動が具体的に知られ興味深い。
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