興福寺本 『日本霊異記』

『日本霊異記』(上巻)巻子装一巻 29.6cm×870.0cm
 日本最古とされる説話集。正式名を『日本国現報善悪霊異記』といい、九世紀初め弘仁年間(810-24)の成立。著者は、在家私度出身と考えられる薬師寺僧の景戒。上中下三巻、計116話を収める。興福寺本は大正11年(1922)に、東金堂の「塵埃の裡」から発見されたという。上巻のみの伝存ながら、文中に延喜4年(904)の原本書写年次を有し、最古の写本として国宝指定を受けている。これまでは、昭和9年(1934)に便利堂からコロタイプ印刷の形で発行された影印版によるしかなく、影印本自体が稀覯本となっていた。
 第19話における裏面の書き込みの混入から見て、本来は現在紙背とされている『衆経要集金蔵論』こそが最初に書かれ、その紙背に『日本霊異記』が書かれたらしい。いつのころか『日本霊異記』が表面となって巻き返され、巻頭部はかなり痛んでおり、また第30話には貼り紙修理をしてその上から文字を書き込んだ例もあって、『日本霊異記』がよく読まれたことが知られる。
 『日本霊異記』は日本の、『金蔵論』は天竺の因果応報を説く点で共通し、両者の説話題目が共に「〜縁」という形を取るなど、この二書が表裏に書写されたことは、たんなる偶然とは考えがたい。

『衆経要集金蔵論』(紙背・巻6・部分)
 中国の北朝末期(6世紀前半)に、釈道紀が、仏典にみられる説話をテーマごとに集成したもの。完本(全7巻あるいは全9巻とも)は伝わらないが、この興福寺本(巻6)と、大谷大学博物館蔵法隆寺旧蔵本(巻1・2)によって、その面影をうかがうことができる。また近年、敦煌写経中にも『金蔵論』の古写本(巻5・6)が確認され、注目されている。
 収められている説話には、現在の果(結果)に対して、過去の因(原因)が語られるという形式のものが多い。興福寺本の冒頭話では、生まれたときから頭上が摩尼珠(宝石)の天蓋に覆われていた人物が語られ、それが過去に摩尼珠で天蓋を作り仏塔を覆った功徳によることが明らかにされている。こうした説話によって、善因善果・悪因悪果という因果応報の理を平易に説き、人々を仏道に導くことに、編纂の意図があったと考えられる。
 昭和9年の『日本霊異記』影印版では、巻頭と末尾の計2カットだけが付録の形で収められていた。
※『金蔵論』の解説、読解等にあたっては、筑波大学助教の本井牧子氏の協力を得ました。

興福寺本 『日本霊異記』 箱、巻姿

興福寺本 『日本霊異記』 箱、巻姿(合成)

 
本電子画像は,平成20年度科学研究費補助金の助成を受けて作成しました。