高津柿本神社所蔵資料電子画像集
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和歌三神伝



外題:なし  内題:和歌三神伝記
数量:写本一冊  寸法:縦18.0×横24.5cm
装丁:列帖装  表紙:金色布地龍文  料紙:
見返し:金泥  丁数:墨付十六丁 一面七行
 和歌三神、すなわち住吉・人丸・玉津嶋明神についての秘伝書である。
 住吉神明については、初めに漢文で住吉に伝えられる三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)の誕生について記される。次に和文体で、 平城天皇・家持、また貫之の前に住吉明神が示現した話を述べ、人丸(人麻呂)が住吉明神の化現であることを明らかにする。
 人丸については、「柿本人丸」「夢人丸」「老人丸」「不住人丸」の四つの相で顕れた人丸に分けて説く。「柿本人丸」では、石見国の柿の木の 本に示現した人丸の伝記と、その人丸像について述べられる。「夢人丸」では、讃岐守兼房の夢に現れた人丸像について、その相伝も含めて述べられる。 原本は貫之自筆古今集と共に焼失し、写本のみ残るとある。「老人丸」では、聖武天皇の時に住吉に七十歳ほどの老人の姿で出現した人丸像について 記される。また、「不住人丸」とは出現する時々で姿の定まらない人丸であると記される。
 玉津嶋明神については、衣通姫が玉津嶋明神といわれ、和歌の神とされるようになったいきさつについて記される。
 奥書からは、本書は東常縁から宗祇、さらに夢庵(牡丹花肖柏)、真存、麦生田道徹、財部入道以貫、財部入道宗佐、如見、一華堂切臨、 山本西武を経て、寛文七年(1667)に金勝(こんぜ)慶安(藤九郎)に伝えられ、享保九(1724)年十二月十八日に慶安から人丸寺(高津真福寺)の 快信坊・妙有坊の両僧に伝えられた秘伝であることが知られる。慶安の奥書のみ他とは別筆であり、慶安の筆と考えられる。近世前期の地下歌人の宗匠の 一人、金勝慶安の伝えた伝書として、貞徳説の伝書との類似・相違に注目される。
 以下に奥書をあげる。
@「右和歌三神の伝記東野州より宗祇法師に/口授するの秘事なり。予又文明の比宗祇より/口决を伝へ今一巻の書となして真存/に令附属之畢。/永正 六年八月十八日 夢庵判」
A「右和歌三神之秘記古来より口づから相伝の/処僧肖柏書となし予に附与之間麦生/田兵庫允に又相伝畢。不精の身として是/を開べからず。又無器量 之輩に不可伝之/者也。以上。/天文二年三月十八日 真存判」
B「永禄九閏八月十一日財部入道以貫写之畢。/麦生田道徹判」
C「天正十年十二月朔日財部入道宗佐令相続/之畢。 以貫判」
D「慶長十九年菊月十九日如見令伝受之者也。/宗佐判」
E「元和二年九月十日一花堂切臨附与之畢。/如見判」
F「寛永三年九月十八日山本西武依数年/願望伝之畢。 切臨判」
G「寛文七年[丁未]二月十八日金勝藤九郎与之畢。/西武判」
H「一、右二条家和歌三神伝受為石州/人丸寺社内奉納住持師第大願/之間口决不残伝受之畢。/一、写本并不浄等無心元候条拝見者/各別之事一時預外 人被申間敷候。/一、代々之後住此旨於違背者可/等神罰之神文無失念次第[云々]/可被申渡者也[已上]。/享保第九[甲辰]極月十八日/源慶安 [藤九郎事]/行年七十七(印)(印)/石州高角真福寺/快信御坊/妙有御坊」

参考文献:三輪正胤氏『歌学秘伝の研究』(風間書房 平成六年)

解説:奈良女子大学大学院博士後期課程 大石真由香

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