皇州緒餘撰部山城國舊地圖
奈良女子大学学術情報センター所蔵
地図一舗 176cm×115cm
「寛延二歳次己巳九月良辰 浪華天府四天王寺解夢庵 京師書生 森謹斎珍重図并識」と
の注記があり、1749(寛延2)年に四天王寺の解夢(ゆめとき)観音を祀った庵で森謹
斎が著したことがわかる。謹斎は森幸安(1701生、没年未詳)の号で、京都に生まれ、
のち大坂の高津に移住、多くの地図を書写・校合した。それらを「日本輿地図」と呼び
、国立公文書館内閣文庫には、「平安城東西両京地図」、「皇城大内裏地図上下」など
222鋪が収蔵され、うち56点については国立公文書館のデジタルカーカイブ上で高機能J
PEG版がデジタル公開されている。この皇州緒余撰部山城国旧地図』に類するものはそこには含まれていない。