奈良女子大学学術情報センター |
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伊 勢 物 語 御 抄写本二冊。袋綴。27.2cm×18.8cm。墨付、上巻106丁、下巻92丁。花唐草紋様空押し黒掾色紙表紙。 外題「伊勢物語御抄 天(地)」(左肩・雲母入題箋)。 奥書なし。
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後水尾院が講じた伊勢物語講釈の聞書である。本書は外題に「伊勢物語御抄 上(下)」とあるばかりで、内題・端作・奥書などがなく、本書のみではその成立事情が不明であるが、他の、後水尾院の同じ講釈の聞書に拠れば、明暦二年(1656)八月二十二日から九月二十九日まで、十二座に渡っての講釈の聞書であると知れる。後水尾院(1696〜1680)は江戸時代初期の天皇。江戸幕府の成立期に当たり、公武間の軋轢もある中で、宮廷文化の振興を計り、いわゆる寛永文化の中心的存在として活躍した。明暦二年は後水尾院、五十一歳。この時の講釈の聴講者は、妙法院尭然親王・聖護院道晃親王・飛鳥井雅章・岩倉具起・中院通茂・烏丸資慶・白川雅喬・日野弘資の八名とされる(大津有一『伊勢物語古註釈の研究』)。うち、尭然・道晃・雅章・具起の四名は、翌明暦三年二月に後水尾院から古今伝授をうけることになる。さらに、通茂・資慶・弘資の三人は、寛文四年(1664)に同じく後水尾院から第二次の古今伝授を受けた四人のうちの三人である(いま一人は後西天皇)。残りの雅喬も古今伝授を許されながら辞退したと伝えられる人物である。とすれば、この伊勢物語講釈は、伝授の階梯化を意識してか、後水尾院が、古今伝授の前段階として行ったものと理解すべきであろう。
もとより、後水尾院の伊勢物語講釈はこの明暦二年にのみ行われたわけではなく、前年の明暦元年にも、また万治三年・寛文四年・同十二年にも行われたことが知られているが、この明暦二年の講釈の聞書としては、道晃・雅章・具起の聞書が伝わるとされる(和田英松『皇室御撰の研究』)。大津氏前掲書に拠れば、本書は具起聞書とされるもの(宮内庁書陵部蔵嘉永七年鷹司政通写ほか)とほぼ同内容であるが、巻頭に日付などの講釈の次第の記事がない。なお、狩野文庫本『伊勢物語御抄』(4/11361/2)とは改行・字の配置・字体などまでかなりよく似ており、二本が作られた場所の近しさが感じられる。江戸後期写。