解 説
中国医書の和刻本。刊記には「承応二歳初冬吉/風月庄左衛門板」と
ある。承応2年は1653年。
書名は,各巻の巻頭・巻末には「太医院校註婦人良方大全」とあり,
序文首・目録首・版心等には「太医院校註婦人良方」とあり,題簽には
単に「婦人良方」とある。
陳自明(宋,臨川の人。字は良甫)編,薛己(明,呉県の人。字は新
甫,号は立斎。正徳中,御医となり,嘉靖中,院使に進む)校註,建邑
書林泗泉余彭徳梓。太医院は当時の医学の最高機関で、その事務を統括
する者を院使と言った。24巻8冊。冒頭に沈謐(明,秀水の人。字は靖
夫,号は石水)の手に成る嘉靖丁未(1547年)の序文を冠し、次に「凡
例」・「用薬宜禁」・「目録」が置かれている。
「目録」にしたがって本書の内容を概観しておくと,巻1「調経門」,
巻2〜8「衆疾門」,巻9「求嗣門」,巻10「胎教門」,巻11「候胎門」,
巻12〜15「妊 門」,巻16「坐月門」,巻17「産難門」,巻18〜23「産後
門」,巻24「瘡瘍門」となっている。このうち巻24は薛己による補遺で
ある。
神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉
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