奈良女子大学学術情報センター |
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書名は,巻頭・巻末・序文首・目録首とも「新鑑草」。『新鑑草』に
ついては,宝暦9(1759)年版と寛政4(1792)年版の存在が知られているが
(『補訂版国書総目録』参照),この現資料は後者(大坂河内屋八兵
衛・河内屋八助刊)の後印本で,刊記には京都河内屋藤四郎ほか三都の
書肆が名を連ねている。題簽角書「新板絵入」。宝永8(1711)年の序文2
種を冠する。漢文の序文は雪巌散人(伝未詳)執筆,和文の序文は無署名
であるが後述するような事情を勘案すると著者自身の手に成ったものではないかと
思われる。
雪巌散人序に見える著者「光風子」とは、宍戸風光、すなわち、『元禄大平記』
などの作で知られる浮世草子作者都の錦のこと。 9巻5冊,全33話。なお、版心に
「為人」とある理由は、和文の序文からうかがわれる。 内容について見てみると、本書は、因果応報の物語によって陰徳を積むべき ことを教えようとした書物であると言える。たとえば、最初の逸話(「王秀,人の 命を救ひ,禍変て福と成し事」)の結びの部分には、次のようにある。 (読みやすさを考えて,適宜表記を改めた)。 つらつら王秀が事に因て世の転変を考へみるに,陰徳を行ふ時は 必ず福(さいわい)有る道理なり。古人の語にも「積善の家には余 慶有り,積不善の家には余殃有り」といへり。みな人,心をつけて 己をつゝしみ給へ。『古今小説』に是を載す。因果応報・福善禍淫・積善余慶積悪余殃といった考え方に基づいて陰徳 を積むことを教えることが,本書の主題である。 ところで、一見して明らかなように、本書は中国小説の翻訳という体裁 をとっており、しばしば典拠も示されている。しかし、中国小説の翻訳に しては不自然な内容の逸話があること、示された典拠も実は全くの出鱈目 であること、などによって、現在では、「この作品は日本的題材を敢えて 中国的に設定して作り上げたもの」(田中後掲書、232頁)である、とされ ている。この点については、田中伸『近世小説論攷』(桜楓社、1985年)所収 「都の錦『新鑑草』をめぐって」を参照されたい。 本書の書名『新鑑草』は、中江藤樹の『鑑草』(正保4〔1647〕年刊)を 踏まえたもの。『鑑草』も本書と同じく因果応報の物語によって陰徳を積む べきことを教えようとした書物であり、しかもその逸話の大部分は中国 の『廸吉録』などから採られているので、本書は『鑑草』のそのような 性格を踏まえて『新鑑草』と名づけられたのだと考えられる。 神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉 |
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