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武家女鑑・教訓女鑑

1840刊

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解  説

 巻頭・目録首・序文首・序文中の書名は「武家女鑑」.見返し「(教訓)女鑑」,版心「女鑑」.題簽には手書きで「武家女鑑−教訓女鑑−」とある.津阪東陽著,五十瀬廼屋(柳窓春門)画,3巻3冊,天保11(1840)年正月刊.寛政8(1796)年3月の日付を有する漢文の自序と,日付を欠いた和文の自序を冠する.
 自序のなかで,著者は,「そもそもこの挙の主とする所は,もって武弁の内則に資せんと欲するに在り.故にその事,多くは将士家の婦人に係る」(漢文自序),「いにしへ今の節婦烈女のものがたり,世のものゝふの妻の身をてらす鑑にも成なん事どもを,そこはかとなくうるに任せて集めしるし,名づけて武家女鑑と云.いさとの家の女のわらハにしめしてみさほを育つるやしなひぐさとするものならし」(和文自序)と述べている.すなわち,本書は,古今の節婦烈女の逸話を素材として武家の女性の鑑戒とすべく著された教訓書である.
 巻1では棚津媛以下11名,巻2では泉忠衡妻以下12名,巻3では那須資友母以下11名の逸話が取り上げられており,ところどころに中国の女性の逸話が附録として挿入されている.多くは武家の女性の逸話で,いずれも江戸時代以前の女性の逸話である.
 著者津阪東陽(1757~1825)は,名は孝綽,字は君裕,号は東陽など.伊勢国三重郡平尾村の人.京都に遊学し,独学で古学を修め,のち寛政元(1789)年に津藩の藩儒となった(『国書人名辞典』).
 なお,『(マイクロフィルム版)往来物分類集成 女子用往来編』(雄松堂フィルム出版)には,刊記等は本書と同一であるが本書にはない跋文を有する6冊本が収められている.

神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉

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