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女訓操草・大和女訓

          1840刊

翻刻文あり

女訓操草 大和女訓


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  解   説

女訓操草
 井沢蟠竜の著作.内題「女訓みさを草」,序文首「女訓操草」,版心「みさこ草」.
 『女訓みさを草』は,内題下に細字で「後編大和女訓」と注記されているように,同じ著者の『大和女訓』の後編にあたる.『補訂版国書総目録』によると,享保14(1729)年に刊行された.ただしこのK11/186『女訓操草』の刊年は不明である.
 このK11/186『女訓操草』はK11/186『大和女訓』とセットで刊行されたもの.ただし,本編であるはずの後者の題簽には「美左保草 下」とあり,後編であるはずの前者の題簽には「美左保草 上」とあるなど,このセットでは『大和女訓』のほうが附録のような扱いになっている.見返し(「肥後隈本井沢長秀著 美左保草 松根堂刊」)も前者にはあって後者にはない.
 あわせて「美左保草」と呼ぶのが適当であると思われるこのK11/186のセットは,大坂加賀屋善蔵刊.そのうちの『女訓みさを草』は上下2巻1冊,上巻16条,下巻18条.冒頭に著者の娘次賀(しが)の序文を冠する.
 著者井沢蟠竜については,K11/186『大和女訓』の解題参照.本文末尾に「右応書肆之求採拾前編所遺漏者編録之」とあるように,『女訓みさを草』は内容面でも『大和女訓』を承けている.しかし,『大和女訓』に見えたような神道的教えは全く説かれておらず,より一般的な教訓によって構成されていると言える.

大和女訓
 井沢蟠竜の著作.書名は巻頭・巻末・序文首・版心とも「大和女訓」.
 『大和女訓』は,享保5(1720)年1月に京都の書肆柳枝軒茨城屋多左衛門より刊行された書物であるが,このK11/186『大和女訓』はその後編にあたるK11/186『女訓操草』とセットでその附録のようなかたちで刊行されたもの(刊年不明).前者の題簽に「美左保草 下」とあり後者の題簽に「美左保草 上」とあるのはそのためであり,見返し(「肥後隈本井沢長秀著 美左保草 松根堂刊」)が後者にあって前者にないのもそのためである.
 あわせて「美左保草」と呼ぶのが適当であると思われるこのK11/186のセットは,大坂加賀屋善蔵刊.そのうちの『大和女訓』は上中下3巻1冊.冒頭に著者の自序を冠し,末尾に「蟠竜子井沢長秀先生編述書」「本朝五十韻」「小笠原折形図式」を付す.
 著者井沢蟠竜(1666-1730)は,名は長秀,通称は十郎左衛門.蟠竜のほか,蟠竜子・享斎などと号した.熊本藩士.江戸で垂加神道を学んだが,のちにはその域を脱したという.博学多識で知られ,宝永・正徳から享保にかけて啓蒙的な書物を数多く刊行している.主な著作は『広益俗説弁』『武士訓』『神道天瓊矛記』など.
 『大和女訓』は,上巻39条・中巻14条・下巻7条からなる女訓書.「今予が記するところハ,・・・我朝の女国なることをあげて女子ハことさらに天照太神およびもろ<の神祇をたうとむべきあらましをしらしめ,夫君舅姑につかふるしなをくハへ,次に雛遊貝合の事などかれこれをつけて,女児の観覧にたよりせんとす」という序文中の一節は,本書の内容および執筆の意図をよく示している.本書の特徴の一つは,上引のごとき神道的立場−「女体」であるアマテラスの領する我が国は「女王国」であるから,とくに女性はアマテラスをはじめとする神々を尊崇すべきである,という立場−から女性向けの教訓が語られている点にあると言えよう.(ただし,アマテラスが女神であることの強調は,『女重宝記』などにも見える.K11/228『女重宝記』巻1参照).また,作者の想定していた本書の読者が武家の女性であったことは,本文中の「夫外へ出ば,いくたりの婢女ありとも,かれにゆだぬべからず.みづから衣服を出して着せ,刀・脇ざし・扇までもそろえてあたゆべし」といった叙述から,容易に知ることができる.実際,全編を通して,その内容は武家の女性向けであると言ってよい.
 なお,『大和女訓』は,享保5年版が『(マイクロフィルム版)往来物分類集成 女子用往来編』(雄松堂フィルム出版)および『江戸時代女性文庫』(大空社)第23巻に収められている.

神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉

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