奈良女子大学学術情報センター
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女 學 考 経

          明治6年刊

 

本  文


 内題・尾題・見返題とも「女学孝経」.題簽には「(鄭氏)女学孝経」とあり,版心には単に「孝経」とある.明治6(1873)年3月に京都の遠藤平左衛門ほか3書肆から刊行された.版本1冊.冒頭に南摩綱紀(1823−1909)の「飜刻女孝経序」を冠す.

 本書は,『女学孝経』と題されてはいるが,『女孝経』の和刻本の1種である(『女孝経』そのものについては,寛政3年刊行の和刻本『女孝経』の解説を参照されたい).見返しに「片山先生点」とあるのは,片山兼山(1730−1782)のことかとも思われるが,未詳.
 明治6年に京都で本書が刊行されるに至った背景は,廃藩後京都府学識の任にあった南摩綱紀の序文の次の1節からうかがうことができる.「余聞く,欧墨文明諸国,都鄙校有り,男女皆な学に入り,未だ嘗て軽重を男女に分かたず,と.本邦も亦た駸駸乎として文明の域に進む.京都府下,学校殆ど七十,郡村も亦た数十.男女六七歳以上の入学する者,凡そ二万五千人.而して校を建つること日々に倍し,生徒月々に益す.四畿八道も亦た将に相い継ぎて京都に比隆せんとす.嗚呼,海内の婦女,果たして能く此等の書に熟すれば,則ち亦た皆な徳教の本源を知り,修斉治平の基礎を明らかにし,親に孝あり,君に忠あり,兄弟に悌あり、夫婦に別あり,以て欧墨を駕して万国に冠たるべきなり」.

神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉

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