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本 朝 烈 女 傳

翻刻文あり
   翻刻文の作成については、本学文学部言語文化学科日本アジア  
   言語文化学講座大学院生、天野波留子さんの協力を得ました   

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巻之上 表紙 巻之下 表紙
 第一 狭穂姫 
 第二 馬飼歌依妻 
 第三 小式内侍 
 第四 源渡妻袈裟  
 第五 静女 
 第六 大磯の虎女 
 第七 佐藤忠信妹  
 第八 松下禅尼 
 第九 楠正行の母 
 第十 瓜生判官の母 
 第十一 奈良左近妹 
 第十二 鳥居与七郎妻 
 第十三 武田勝頼夫人 
 第十四 原元辰母 
 第十五 鈴木氏妻 
 第十六 富女 
 第十七 備中国貞婦 
 第十八 出羽国貞婦 

  解  説

 書名『本朝列女伝』。巻首・目録首・見返しの角書「挿画」,題簽の角書「匹田尚昌編輯」。上下2巻2冊。東京・磯部屋太郎兵衛刊。 明治8(1875)年4月の編者序文を冠する。後述するように本書は松平頼紀『大東婦女貞烈記』の抄録である。「編輯」とあるのはこのためであろう。
 鑑戒とするに足る女性が主人公のエピソードを集めたもの,という形式の女訓書を,列女伝型の女訓書とよぶなら,その原型は,言うまでもなく漢の劉向(前79?~前8?)の『列女伝』にある。同書ははやくも平安時代には日本にも伝えられているが,同書が日本で広く読まれるようになったのは近世に入ってからのことであったと言ってよい。たとえば,承応2(1653)年には同書の和刻本が刊行されているし,明暦元(1655)年には北村季吟による同書の和訳(『仮名列女伝』)も刊行されている。このような流れのなかで,日本においても,同書の形式を踏襲した列女伝型の女訓書が著されるようになっていく。明暦元(1655)年頃に成立し寛文8(1668)年に刊行された阿部弘忠『本朝列女伝』や,寛文元(1661)年に 刊行された浅井了意(?)の『本朝女鑑』は,その早い例であると言える。本書(匹田尚昌編輯『本朝列女伝』)も,17世紀中期以後に数多く著された列女伝型の女訓書の一つである。
 実のところ,本書の大部分は,松平頼紀『大東婦女貞烈記』の抄録である。文章に多少手は加えてあるが,論旨に大きな変更はないと言ってよい。松平頼紀(1751~1811)は,磐城守山藩主松平頼寛の五男。『大東婦女貞烈記』3巻は写本で伝えられた。現在は『日本教育文庫』孝義篇下(日本図書センター,1977年)に翻刻されている。
 なお,「第三 小式内侍」「第十五 鈴木氏妻」「第十六 富女」「第十七 備中国貞婦」「第十八 出羽国貞婦人」については,『大東婦女貞烈記』に直接的な典拠を見出すことができない。おそらく他の書によったのであろう。

         神戸大学国際文化学部講師 宇野田尚哉

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