釈迦三尊十六善神像図

西大寺所蔵 (奈良国立博物館寄託)

 画面中央に釈迦如来、左右に象に乗った普賢菩薩と獅子に乗った文殊菩薩を配し、これを取り囲むように十六善神等が所狭しと居並ぶ。画面下方すなわち観者に最も近い位置には、遙々インドへ旅をして中国に経典を持ち帰った玄奘三蔵と守護神の深沙大将とが相対する。
 「釈迦十六善神像」は玄奘翻訳の『大般若経』を転読する法会(大般若会)の際に本尊として奉られる。日本における大般若会は大宝3年(703)藤原京にあった四大寺(大官大寺、薬師寺、元興寺、弘福寺)で文武天皇が命じて行われたのが最初で、平城京遷都以後、天平9年(737)からは大安寺にて毎年恒例の行事となった。「般若十六善神像」懸用の記録は『中右記』永久2年(1114)7月21日条が堀川院西対での転読が初見。中世に入ると、徐々に日本各地の寺院で「大般若絵」は修されるようになり、「釈迦十六善神像」遺品は数多く今日に伝わる。
 そのなかにあって奈良国立博物館本は大幅の秀作である。その図像的特徴は、十六善神のうち四天王を除く十二神が頭上に十二支の動物を載せていること。通常は経巻を背負う旅装の姿で描かれることの多い玄奘が、本図では袈裟を着て経巻を手にする姿で描かれること。通例の十六善神に加えて、梵天・帝釈天・阿難・迦葉・二王など、にぎやかに尊像が描き添えられていることなどが珍しい。
 定型表現に陥っていないこと、伸びやかでくっきりとした墨線主体で各尊像は描出され、表情や姿態も動勢に富んでいることから、本図の制作時期は鎌倉後期に遡ると考えられる。この時期、西大寺では叡尊が活発に造寺造仏の活動をしていた。『感身学生記』によれば、文永12年(1275)叡尊が二度目の伊勢神宮参詣にでかけた折、関東極楽寺の忍性から宋版「大般若経」が菩提山(伊勢神宮寺)に送られ、このとき両界種子曼荼羅と釈迦十六善神像を図絵したという。このほか、叡尊は蒙古襲来を調伏するために『大般若経』転読をしばしば行っているので、彼を中心にしたこうした一連の動向のなかで本図が供養された可能性は高い。
(参考/『西大寺展(展覧会図録)』奈良国立博物館、1990年。『天竺へ−三蔵法師3万キロの旅(展覧会図録)』奈良国立博物館、2011年)

釈迦三尊十六善神像図

釈迦三尊十六善神像図 一幅