信貴山寺資財宝物帳
朝護孫子寺所蔵
(奈良国立博物館寄託)
紙本墨書
縦32.7cm×横217.1cm
平安時代(11-12世紀)
信貴山の山内にある堂舎、そこに安置される仏像、経典や仏具等の法宝物、僧房等の建物、経済的基盤となる田地等、あらゆる資財が記された文書。この文書の原形は、信貴山寺の基礎を築いた命蓮(生没年不詳)が晩年を迎えた承平七年(937)に、寺を末代まで確実に守り伝えるために書き残した置文である。この文書は、命蓮が入滅した後の天慶四年(941)に大和国司に提出されて署判をうけ、地元の郡司等の署名も得たものである。最も新しい年紀として寛仁元年(1017)がみえるため、現在の資財宝物帳の形になったのは11世紀と考えられている。
この資財宝物帳によると、寛平年中(889-898)に命蓮が信貴山に入ったときは、一宇の堂舎に毘沙門天一軀が安置されるだけであったという。本書は、草創期の信貴山朝護孫子寺の様相を知るための最も基本となる史料である。(参考|野尻忠解説、『信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝』奈良国立博物館、2016)