太子軍絵巻
朝護孫子寺所蔵
(奈良国立博物館寄託)
紙本著色
縦31.5cm×横623.5cm
江戸時代(17世紀)
聖徳太子が十六歳のとき、物部守屋を征伐したという伝記の一部を取り上げて描いた絵巻である。絵巻は合計四場面の絵のみから構成されている。甲冑を着けた馬上の太子が、鍬を持つ老人と対面する場面、杖をつく老人の横で箭と扁額を前にして太子が手を合わせる場面、台の上の小さな四天王を前に太子が手を合わせる場面、軍勢とともに守屋を征伐する場面である。
本絵巻は聖徳太子絵伝の一部を抜き出したものではなく、国宝・信貴山縁起絵巻(以下国宝本)を前提に、そこに触れられていない信貴山と聖徳太子の関係性を物語る絵巻として、国宝本を補完する重要な意味を持っていたと考えられている。
享保十二年(1727)の信貴山宝物目録によると、江戸時代には、本絵巻は国宝本とともに、信貴山の由緒を語る縁起絵巻として山内で尊重され、国宝本と一具として同一の箱に納められていたという。山内史料によれば、葵御紋の入った本絵巻の表装裂は、元禄十四年(1701)の江戸でのご開帳の際、桂昌院によって調進されたものである。
本絵巻の描写は、住吉廣保による信貴山縁起絵巻模本(本データベースに掲載あり)などとは一線を画すが、伝来から推測すると、これと近いか少し遡る時期に描かれたという。信貴山の歴史を語る貴重な一巻として位置付けられている。
(参考|北澤菜月解説、『信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝』奈良国立博物館、2016)