奈良女子大学学術情報センター |
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一、 『伊勢物語』 の伝本伊勢物語の本文は、 通例その章段数によって普通本、 広本、 略本の三系統に分類される。
普通本は、 藤原定家が書写した本の系統で、 百二十五段の本文から成っているものであり、 現在、 一般的に活字本として読まれているのは、 これをもとに校訂されたものである。 漢字のみでその音訓を用いて表記された本文をもつ真名本も、 この系統に属する。
次に、 広本といわれるものは、 普通本には含まれない本文が増補されているものであり、 普通本より十段ほど章段数の多いものとなっている。
それに対して、 略本は百十五段と普通本より章段数が少ないもので、 その奥書に 「朱雀院のぬりこめにをさまれり」 とあることから、 別名塗籠本と称される。
この塗籠本は、 章段数の少なさもさることながら、 他の系統の本文にはない独自の面をもっている。 かなり古い時代の形を残している部分もあり、 平安時代中期に存在した可能性もある。 また、 章段形式は、 百二十五段本では一つの章段であるものが、 二つの章段に分けられていたり、 逆に二つの章段を一つの章段にまとめられていたりする。 順序も百二十五段本に比べて、 類似の内容の章段を並べようとする意識が強く、 説明的語句も多い。二、 塗籠本の諸本
塗籠本の諸本としては本間美術館本、 不忍文庫本、 群書類従本、 桃園文庫本などがある。
本間美術館所蔵 (伝民部卿局筆本) の伊勢物語は、 その書写が鎌倉中期以前という古いものである。 縦十七糎、 横十六糎、 一面十行、 六十四葉の一冊本である。 墨筆傍記のほか、 主として出典や章段番号などを示す朱記がある。 本文の末尾に 「此本者高二位本、 朱雀院のぬりごめにをさまれりとぞ。 伊勢物語、 可秘也」 とあり、 ついで 「元慶四年」 云々の業平の略歴を挙げ、 最後の紙に別筆で 「這伊勢物語者、 京極黄門定家卿息女民部卿局之真翰無疑者也 寛文四甲辰初冬 冷泉左中将為清」 と記されている。
それを屋代弘賢 (一七五八〜一八四一) が写した不忍文庫本は、 全体的にはきわめて巧みな写しではあるが、 ごく微細な点で原本と異なる面もある。 その殆どが左右の書き入れの脱漏であるが、 本文でも 「たかしくもあらねと」 を 「たかしくもあらぬと」 (五段)、 「なにはつを」 を 「なかはつを」 (六十二段)、 「昔男みは…」 を 「昔男み…」 (八十九段) としているなどの他、 「かるとたにきく」 (二十二段) の 「く」、 「むつきに」 (八十段) の 「むつき」、 「井なか」 (八十四段) の 「井」 を空白にしているという違いがある。
同じく伝民部卿本を底本にした塙保己一 (一七四六〜一八二一) の群書類従本は、 本文の末尾に 「此本者高二位本」 云々とあり、 続いて寛文四 (一六六四) 年の冷泉為清の識語が記されている。 業平の略歴はない。 さらに奥に
右朱雀院塗籠御本伊勢物語一巻、 以森山孝盛所蔵民部卿局真跡本書写一校、 而雖仮名遣い不一様、 誤字脱文又不少、 不輙改之、 一依原本、 但衍文処々加爪印畢
と言っているが、 実際には文字遣いなどは天福本を基準とした形で全体にわたって改められており、 本文もかなり異なっている。
また、 桃園文庫所蔵本 (江戸末期の書写) は、 本文の行数や丁数は全く伝民部卿局筆本、 不忍文庫本と一致し、 書体も近似しているが、 百十四段 「ものへいでたちゆくとて」 の 「ゆくとて」 四字がないという特徴が見られる。三、 奈良女子大学所蔵本
この奈良女子大学蔵 『朱雀院塗籠本 伊勢物語』 は、 縦二十五糎、 横十八糎、 一面十二行、 五十三丁の一冊で、 巻頭及び巻末に 「不忍文庫」 「阿波国文庫」 「奈良女子高等師範学校図書」 の蔵書印がある。 本文には、 「世本」 との校異や和歌の出典などを示す墨筆の傍注・頭注のほか、 朱記の書き入れがある。 本文の末尾に 「此本者高二位本」 云々とあり、 続いて寛文四年の冷泉為清の識語が同筆で記されている。 業平の略歴はなく、 群書類従本との関係を窺わせる。 さらに 「伴 浚明」、 「藤 直寿」 の奥書が続き、 その内容から明阿入道 (山岡浚明・一七一二〜一七八〇) の手を経た本を藤原直寿 (伝不詳) が書写し、 他の本との違いを書き入れたものであることが知られる。 またその書写年代は、 「入道はかなく成て、 うち過ぬるも、 七とせ八とせ斗也、 此ごろ、 或人のもとにて、 はからずも此本を見る…」 という記載から、 一七八七〜一七八八年頃を遡らないことが推測できる。
その本文は、 伝民部卿局筆本に比べ、 かなり形が崩れ、 他の系統の本文をもつ部分もある。 ただし、 章段形式や説明的語句の多用など、 塗籠本の特徴は備えており、 朱記で改変することによって塗籠本本文にきわめて近いものになっている。 その朱記は伝民部卿局筆本によると思われる部分も多い一方、 群書類従本とのみ一致する部分もあり、 尚考察が必要である。 墨筆で傍記された 「世本」 というのは、 その記述内容から定家本に属するものとみて間違いないであろう。
この本の諸本関係を考えることは非常に困難であるが、 本間美術館本と不忍文庫本に校異があった部分は、 奈良女子大学本ではそれぞれ 「しげくもあらねど」 「なにはつを」 「昔おとこ身は」 「かるとたにきく」 「む月に」 「ゐなか」 と記されており、 「不忍文庫」 の蔵書印があるものの、 不忍文庫本とは関係がないことが推測できる。 また、 冷泉為清の識語が写されていることから、 伝民部卿局筆本と何らかの関係があると考えられる。
また、 奈良女子大学本は、 奥書だけでなく本文においても、 仮名遣いや語句など群書類従本と似たところがある。 例えば二十三段で本間美術館本・不忍文庫本になく、 天福本で 「いにしへよりもあはれにてなむかよひける」 とある部分を、 群書類従本とこの本が 「いにしへよりも哀にてなむかよひける」 とし、 二十四段で本間美術館本・不忍文庫本・天福本に 「はちかはしてありけれと」 とある部分を、 類従本とこの本が 「はちかはしてありけれは」 とし、 同じ段で本間美術館本・不忍文庫本に 「かゑし女」 天福本に 「女返し」 とある部分を、 群書類従本とこの本が 「返し」 とのみ記している。 桃園文庫本と同様、 群書類従本・奈良女子大本にも、 百十四段 「ゆくとて」 の四字がないことも注目される。 しかし、 細かい点で群書類従本と異なる所も多いため、 奈良女子大学本が群書類従本の底本となったという断定はしかねる。
鎌倉時代初期には 「高二位成忠本」 「業平朝臣自筆本」 「小式部内侍本」 という伊勢物語の三大系統があったが、 業平自筆本を知ることは困難で、 小式部内侍本も大島本の巻末に十数段の断章をとどめるのみである今日、 高二位成忠本の姿を伝える塗籠本の存在は重要である。
奈良女子大学本は、 現存最古の塗籠本である伝民部卿局筆本の忠実な伝本とはいえないが、 塗籠本のわかりやすい説明は残し、 ワ行化していた仮名遣いをハ行に改め、 他系統の本文も利用して、 伊勢物語の一時代の姿を提示している。【参考文献】
▼池田龜鑑氏 「伊勢物語解説」 (『塗籠本伊勢物語』 古文学秘籍叢書刊第六回 昭和九年)
▼南波浩氏 「新資料民部卿局筆塗籠本伊勢物語について」 (『国語国文』 第二十八巻第十一号 昭和三十四年十二月)
▼大津有一氏 『伊勢物語に就きての研究』 昭和三十六年
▼福井貞助氏 『伊勢物語生成論』 昭和四十年
▼竹鼻績氏 「本間美術館蔵 伊勢物語 解題」 (『伊勢物語:伝民部卿局筆本』 復刻日本古典文学館 昭和五十一年)
▼市原愿氏 『伊勢物語塗籠本の研究』 昭和六十二年