奈良女子大学学術情報センター |
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伊 勢 物 語 の 世 界 |
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『伊勢物語』は、その成立年代・作者などについては明らかでない点が多い。
『源氏物語』や『狭衣物語』の記述から、当時「在五が物語」とか「在五中将の 日記」と呼ぱれていたことが知られる。しかし、同じ『源氏物語』でも絵合巻に は「伊勢物語」とあり、また現存する伝本のすぺてが「伊勢物語」を書名として いるから、やはりそれが本来の書名であったらしい。
『伊勢物語』の名称は、「男」が伊勢へ狩の使に行き、斎宮と密通する第69段 に関連していると見るのが最も穏当であろう。かつてこの段を冒頭においた「狩 使本」と呼はれる写本が存在していたことも確かである。
それを平安時代の人々が「在五が物語」とか「在五中将の日記」などと呼んだ のは、当時は作者が在原業平その人であると考えられていたからである。しかし、 物語には業平没後の歌を物語化した段もあり、業平は作者であり得ない。
『伊勢物語』の古い部分は延喜5年の『古今集』より古いが、新しい部分は天 暦(947〜957)年の頃よりも新しいことがわかっている。つまり、『伊勢物語』は 一人の作者が、一時期に作り上げたものではなく、少なくとも3回以上、70年以 上にわたって、増補されていった作品と考えられるのである。
第一次段階の『伊勢物語』は、ことさらに実在の在原業平の時代の話ではない という姿勢で物語られている点で、かえって業平との深い関係を思わせる。業平 は元慶4(880)年に没しているので、彼が関与した『伊勢物語』はそれまでに成立 していたのかもしれない。始発期の『伊勢物語』は十数段と少なく、従って段序 と呼べるものもなかったらしい。その後天暦の頃までに、第二次段階の『伊勢物 語』が第一次の『伊勢物語』を取り囲むように増補されていったようだ。これら の章段は、翁となった業平目身が昔のことを思い出して語るという姿勢が強く、 また在原氏意識が濃厚に出ていることから、在原氏の子孫の作かと考えられても いる。
さらにその後、おそらくは天暦の頃から少し後になって、第三次段階にあたる 多くの章段が付け加えられた。業平に関係のない『万葉集』や『古今集』よみ人 しらずの歌なども利用していて、一般的・通俗的な傾向があり、作者を誰と定め ることもできない。第一次・第二次の物語が当事者的表現をとるのに対し、第三 次のそれは後代の享受者の立場と同じ次元で創作されているということもできる。
何人かの作者によって、長い期間にわたって作られてきたこの作品は、以上の ような重層的というにふさわしい構造をもつ。しかし、その全体は見事な調和を 見せ、一人の男の愛情生活を語りあげている。『伊勢物語』はまさに愛の物語で あり、いつも美しいあわれを人の心に響かせるのである。
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